探しもの

高校生のとき、栃木県にあるアジア学院に関わりがあった。

単発的に数回、関連イベントに数えるほどの小さな関わり。
でも年ごとの研修生一覧を眺めては、それぞれの背景に興味を持った。

アジア学院での研修は10か月。
アジア・アフリカからくる研修生たちは12月の寒い冬に卒業を迎える。

でも彼らは卒業の式を「Graduation」とは呼ばない。
あくまで「Commencement」。

各コミュニティに帰っていくことを一つの始まりとする思いからだ。
それぞれが修了にあたって同じ思いを持っている。

学んだことを自分だけのものにせず、コミュニティの兄弟たちに分かち合っていくことが自分の役割だ。
ここで得たことを持って帰る、それが自分の使命だ。

f:id:kiko-nam:20160217125133j:plain


研修生はほとんどが農村地域の集落(コミュニティ)から来る。
国外に出たことがない人は少なくないし、家族や集落への所属意識が強い分、恋しく思う気持ちは強い。

そんな彼らが異郷で研修を続ける姿には、コミュニティへの強い誇りを感じられた。
自分が特定のコミュニティないし民族の一部であるという強いアイデンティティ

守りたいと思うもの、力になりたいと思うもの、自分そのものとして誇りに思うもの。
それを持っているということが美しく見えてならなかった。

少なくとも、私はそれを持ってない。

一つのことに集中していて、それをこの上なく特別に思っている。
私にもそういう居場所となるコミュニティがほしいと思ってきた。

f:id:kiko-nam:20160217125117j:plain


そういう意味で、地域おこし協力隊になったということは特別だった。

この地域のために、ここの人たちのために尽力したい。
自分の持つものを最大限に用いたい。

自分が見るもの聞くものすべてが、地域の人々へ還元されることを自然と考えるようになっていった。

虚しくも、その思いは一方通行だった。
見方を変えると、私は本来ヨソモノなわけだから致し方がないとも思えるが。

だから、「この地域の一員になりたい」という原動力で変化に努める人と、「変わりたい、迎えたい」という思いを持って受け取る地域が合致した例を羨ましく思わないではいられないのが正直なところ。

f:id:kiko-nam:20160217125622j:plain


アナリストのように、分野や種別を問わず複数のデータにまたがって分析したり考え方を生み出したり方向性を明らかにするという立ち位置は嫌いじゃない。

向きではないが、いろいろなこと知れるから楽しいもの。

でもそれも時に寂しく思うことがある。

きっとそれは私が小さいころから求めて探してきた自分の所属というものを、他の人が無意識に、そしてごく自然に持っているのと同じように私も持ちたいと願う気持ちが強いからなのかもしれないけれど。

仕事のためではなく、損得勘定でも合理性でもなく、「愛したい」と思う存在とコミュニティに出会うこと。

仕事という関係でもいいし、居住という形でも、結婚という形でもいい。

それが今の私の最大の探し物。