帰還

広島での研修も無事に終え、松山に帰ってきた。

年末の東京滞在もそうだったけど、自分のいるところを一時離れてみると、自分の状態に更に客観的に気づく機会になるもの。

自分の肉体的体調、霊的コンディションの変化と安定を実感した。

更に、あちこちへ行って回る中で、暫定的に拠点となる松山が、今の私の生活にとって帰着地になっていると気づく。

知り合いこそいないものの、この地でパパと歩む日々は素晴らしい。
友はもちろん大事だ。重要という意味で、大事だ。

パパはそれ以上の存在だ。
そんなパパと親しく交わり歩めることは何にも勝って素晴らしい。

パパとの関係性に比例して、無意識的に今の生活を愛するようになってきたのだと思う。


広島で、予定になかった友人に会った。

特に改まって人に近況を話す雰囲気になるのが面倒で避けていた。
実際のところ、都合をすり合わせるだけの時間的余裕もなかったし。

研修会場を伝えただけで、研修が終わった時点で迎えに来ていた。
親切に有料ルートで港に送ってもらい、夕食もごちそうになった。


ドキドキしていた第一陣の書類選考結果。
通過していれば今日連絡をもらえる予定だった。

昼過ぎまで連絡がなかったので、今回はなかったかな、と思った。
更新してみると「二次選考について」というタイトルのメールが。

通った。

自分の力が十分ではないのを知っているので、別に落ちても受け止める準備はできていた。

どちらに転がっても、力試し的な意味で挑戦したかったし。


今回の結果を通して、これまで証明したかったことが一つ実現できた。
学歴志向のこの世界(分野)で、中の下だって通用するということ。

国際機関や名の知れた上級団体で働けるのは、名門・有名大学を高学歴で卒業した人間だけではないということ。

国際協力誌を手に取ると、必ず高学歴な人が選ばれている。
学名が明記されていない人の経歴は、意図的なものを感じる。

それは志を持っている卵たちにとって励ましになる場合もあるが、あるいは「自分にはこんなふうになれない」という諦めや自己否定感を与えていることをどれだけの人が客観的に気づけているんだろう。

私は大学でそんな学生にわんさか会った。
というか、そんな学生しかいなかった。

学力で言ったら中の下か中の中がいいところ。
そんな彼らには、自覚のない「負い目」がどこかあるように思える。

私があらゆる言葉でマインドチェンジを手伝うも、十分ではなかった。
説得力がないんだ。当然だ。

それなら自分で証明して説得力になってやろう。
私だって専門技術なんか持っていない。
皆と同じ中の中そこらの学力しか持っていない。

それでも、中学生のときから志した道をこんな風に歩ける。
何ができる、学歴の有る無しで決まらないからだ、ということ。
たどり着く道は星の数ほどあるんだ、ということ。

私が今回応募したのは、内閣府認定の法人組織だ。
中の中を卒業して、これほど自由な仕事はないという職を7か月で辞めた私だ。

就職の方法論や概念を一切シャットアウトして無視してきた私だ。
自分の思いを素直に書いて、それを必要以上に過小評価しなかっただけだ。
就活の成功法?とやつは、参考ぐらいでいい。

こんな私にも開かれている道がある。
ということは、可能性の幅はもっと広いんだ、ということ。

学生の頃の思いの実現に近づく自分の成長をとても嬉しく思えた。


今、私の目の前の事柄はどれも順調にいっている。
二次はどうなるかわからないけど、とりあえず今のところ調子がいい。

バイトの初出勤日時も決まったし。
これで収入の目途が少しはたったわけだし。

さほど期待しなかった書類選考が通ったし。
関西の滞在はどれもとてもよかったし。

でも、私はこのことに依存しない。

目の前のこれらは、必ずいつか形を変える。
突然悲しみに転じたり、喜べない何かに変化する。
試練となってふりかかったり、困難、貧しさ、涙を生むかもしれない。

目の前のことが順調なときだけ調子がよく、転じると動揺し困窮する。

でも、いつまでも決して変わらない唯一のパパに私は心を開く。
今日も明日も変わらないパパのゆえに、目の前の出来事に左右されない。

パパの子どもとして、私はただそんな歩みをしたい。