上からの言葉
うまく話せない時期がある。
説明や描写に、適切に言葉を見つけられない時期がある。
そういうときって大概神様から言葉の制限を受けているとき。
私の言葉一つとっても、上から与えられるものだから。
その制限には、その時々で意味がある。
私にとって、饒舌だということは大きな自負になりやすいことの一つ。
だから、私が自負心を持つことが危険なときにこそ制限されることもある。
または、それが出会いに関係していることもある。
人はみんな弱さを持っているけれど、
弱さは人が人と繋がりを持つという重要な目的を持っていると思っている。
だから私がことばの知恵にかけるとき、
助けが与えられることを通して出会いが備えられることもある。
その他にも、私が話すことを休んで聴くべきときなど。
いろいろ。
神さまは「時」を持たれる方なので、神様の時にかなったことをなさる。
毎回そのすべての意味を私たちが見出せるわけではなかったとしても。
私が言葉をうまく見つけられない時期のときには、
そんな神様の「時」に従って理由と目的があるのだということを思えば、
肩の力を抜いて今の自分をそのまま受け入れることができる。
何かのための時期なんだろうな、今は。