素質

就活のハウトゥなんて、大声出して妨げてやりたいくらい嫌い。
大学で必ず実施されてる「就活必勝法!」を謳うセミナー。
嫌いだ。

それをそのまま実践しようと全部を鵜呑みにする学生も嫌いだ。
暗記能力だけ使って乗り切るだなんて、価値ない。
その作業はまさしく、ただのコピーペースト。
面接が無事に終えられるとて、何が自分に残せるんだ。

再就職活動を始めて、最初の面接で気づいた。
就活マナーと呼ばれる知識やノウハウを知る価値があるということ。
それは、私が伝えたいと思うことをより整理して伝えるため。
今の自分のニーズにとって最上の「ツール」になるため。

まだ思考や弁舌が成長期の私たちには、
伝えたいことをいかにして伝えるべきかのレクチャーが必要。
でもそれはあくまで「学ぶ」ためのものであって、
必ずしも「そうする」ためのものではないと思うよ。

目的は就職試験をパスすることで相違ないけど、
最近の就活ハウトゥは、いかに楽に面接を乗り越えるか、
いかにうまく相手の懐に入り込むかという方法論として認識されがちな気がする。

ハウトゥセミナーが、就活生自身に考える力を育む手段をではなく、
ただ乗っかれば成功するよと謳うレールを与えているにすぎない気がする。

日本人って、失敗しないことが美徳だしね。
更に民族的性質上、リスク回避能力がかなり高い一面もあるし。



ま、そんなこんなで就活マナーや面接での伝え方とかを、「他称:怪しい自己啓発の集大成」な友達に教えてもらった。

読んでいて気づくのは、人間の行動心理を観察する私の力。

行動心理を書いている本の言わんとすることは、私が日頃、自分や他人を見るときに持っている判断軸と同じ。

ただ、それが適切に規則化され、論理だった根拠と共に体系的にまとめられているのが書籍。

だから読んでいて理解しようと努める必要もなく、
「ふんふん、そうだよね」と読み終わる。

私は恐らく、生まれ持った人の心理や行動心理の観察能力が高い。
ただそれをまとめるだけの言葉力、論理立った思考力、根拠を提示する知識が足りない。
この3つ。

つまり、この3つがそろった人の心理についての書籍を読み漁ることを通してかなりの能力の成長が見込める素質があるのだということがわかった。

つい、すでに自分が持ってる経験や導き出した理屈に頼りがちだけど、更なる成長が見込める素質を持ってることを思って、勿体なく感じた。

新しい自分の発見

午前中に、入院していたバングラ人の友達が退院。
相変わらず外に出た瞬間と、外から室内に入ってきたときにえずく。
彼女はもう7か月半だけど匂いの過敏状態が続いてるみたい。

研究で多忙を極めるご主人の妊婦の軽視。
解ってほしいあまりに夫としての理想を押し付けちゃう奥さん。

双方の言い分はよく理解できる。共感もできる。
妊婦になったことはないけど。

でも、「自分のほうが大変」の主張は平行線で終わるんだよ。
それが交わる時はどちらかがどちらかの身に実際なるまで来ないし。

何言ってるのかは知らんけど、やはり声を荒げられるのはきついな。
人の怒る様や声が大きくなったり怒鳴るのを聞くと相変わらず体が反応する。


昨晩ふいに見つけた大阪の求人。
仕事の内容としても、ロケーションも待遇も良い。
でも問題は応募締切日が今日だったってこと。

昨日の時点でも課題の作文ができなくて。
文字数少ないけど、今の自分に出せるものが整理できなくて。
まあもともと受ける気があって備えてた求人でもないし、と思って数時間放置。
ダメ元で机に向かい直して数時間。

できちゃったわー。YDKだな、ワタシ。

書きながら新しい自分の発見の旅をした。

一つは、多くの要素から根本や原点という中心点を見定めて一つを抽出するのが得意。
その反面、アイディアを出して数を増やす、という作業が苦手。

数を減らすのは得意らしい。
数を増やすのが苦手らしい。

二つ目は、福知山のセンセイと話してて気づいたんだけど。
私は小さな糸口さえ見つかればそこからの回復がめっちゃ早いらしいってこと。

芋づる式じゃないけど、するすると瞬く間にほどける。
糸口とゆとりさえあるなら、自分をポジティブに仕向けるのはできるからかもな。


木曜日までに第一志望の法人への書類もいい加減そろえよう。

それにしても今週からは詰まってるな。

上からの言葉

うまく話せない時期がある。
説明や描写に、適切に言葉を見つけられない時期がある。

そういうときって大概神様から言葉の制限を受けているとき。
私の言葉一つとっても、上から与えられるものだから。

その制限には、その時々で意味がある。

私にとって、饒舌だということは大きな自負になりやすいことの一つ。
だから、私が自負心を持つことが危険なときにこそ制限されることもある。

または、それが出会いに関係していることもある。

人はみんな弱さを持っているけれど、
弱さは人が人と繋がりを持つという重要な目的を持っていると思っている。

だから私がことばの知恵にかけるとき、
助けが与えられることを通して出会いが備えられることもある。

その他にも、私が話すことを休んで聴くべきときなど。
いろいろ。

神さまは「時」を持たれる方なので、神様の時にかなったことをなさる。
毎回そのすべての意味を私たちが見出せるわけではなかったとしても。

私が言葉をうまく見つけられない時期のときには、
そんな神様の「時」に従って理由と目的があるのだということを思えば、
肩の力を抜いて今の自分をそのまま受け入れることができる。

何かのための時期なんだろうな、今は。

主の備え

切迫早産で入院中のバングラ人の友達。
ベンガル民族なので当然イスラム教徒。
そんな彼女を見舞いながら、入院生活と出産の守りを祈る日々。

今日、彼女と同じ部屋の日本人の女性が顔を出してくれた。

昨日2時間分娩で出産した彼女。
よく聞くと、彼女も切迫早産で入院していたそう。
それも、4週間も点滴をしながら子宮収縮を押さえていたそう。

4週間後、予定日より早く出産になった。
陣痛は少なかったものの、後陣痛に今苦しんでいた。

しかし彼女はとても元気で健康。
友達はいつも彼女のような健康な妊娠・出産ができたらと言っていた。

けど実際には彼女は友達と同じ状況下にあったわけ。
切迫早産になったからといって必ず危険ではないという証明になった。

これも主の備えだったと思う。

彼女に妊娠出産への希望を与える存在を置いてくださった。

初めてで、何が起きているかわからない、海外での出産。
親族もいるわけではない、孤独と闘いながらの出産。

ただでさえマタニティーは精神的に弱りやすいのだから、彼女は気丈だと思う。

主の備えあり。
友達は今日も、主の守りのうちにいる。

反動

リバウンド。
ダイエットで激やせすると、その後激太りするやつ。

私は、とことん引きこもる側面と、可能な限り動き回り尽くす極端な二面を持っていて、おかげでただでさえリバウンドなのにその振れ幅がものすごく大きくなりがち。

バレンタインシーズン3週間は、その他のことが何もできないくらい集中力入れて働いた。
おかげでその後2週間何もしたくない病。

1週間は猶予として自分を許してあげたさ。
でもさすがに再就活の身としては、何もしないまま2週目が過ぎるのはまずいだろ。。

一応まだ応募予定先のリミットはあるけど、そろそろ動き出そう。

ひとまず来週月曜までは、切迫早産の可能性で検査入院中のバングラ人のケアをメインに動こう。


そうそう、今バングラデシュ人留学生の奥さんの入院の通訳や公的手続きの把握を私がしてるわけだけど、医療系の専門用語は勉強する機会がなかったら知らないもんばっかり!

今回は切迫早産の恐れで検査入院なわけだけど、切迫早産はThreatened premature deliveryと言うらしい。

陣痛・おなかのハリは、Contraction
子宮は、Uterus
子宮頸は、Uterine cervix
帝王切開は、C-section

そのうち点滴(Infusion)とかも使うのかな、と予習。

でも、単語としての専門用語は知らないものの、スリランカで入院していた体験から、医療系の言い回しや表現に免疫がついている自分に今回びっくり。

それに、日本語で聞くとしくみをきっちりわかっていなくても理解できた風に思えてしまうけど、違う言語で聞くとそもそも何を指しているかをわかるためにその部位のつくりや体のカラクリから調べないといけないことになるから、今回も出産するときに子宮頸がどうなっていくのか、切迫早産ってどんなものなのかそのメカニズムから理解することになってなんだか一つ賢くなった気分。

まあ妊娠出産に関しては私にも起こりえることだし。

何事も、どこかで役に立つ情報だと思って聞くと、調べる意欲やきちんと理解したい意欲が湧くよね。

それにしても、誰かが動けなくなると頼まなくても近所や親せきや友人たちがこぞってお世話を焼きまくってくれる文化のアジア人たちにとって異国でこういう事態になるというのは辛いだろうな。ただでさえ異国で病気になるのは心細いものだし。

とにかく、私がアジア各国各地を体験してきた理解が私だけのものにならず、こうして人の役に立つ、とりわけアジア人へ還元される形で生きるとは、これほど幸いなことはないな。